薄らと開いた目に飛び込んでくる景色よりも、鼻孔をくすぐる甘ったるい香りが
この場所を、この状況を教えている。

ここが見慣れた自分の部屋だろうとなかろうと、問題はそんな事ではなく、一番確認したい事を確かめたなら、
ようやく全身は、爪の先から安堵に包まれていく。

 

”それはね、隣に君が居ること。”

まっさらなシーツの波間に浮かぶ彼女に手を伸ばす。
白い肌は蜃気楼のようにゆらゆら揺れていた。


”これは、夢の中での夢では、ない、よね?”
一瞬でも不安になってしまう自分に情けなさを覚えるが、
それもこんな幸せの中に浸かっていれば、仕方ない事なのかも知れない。

ゆるやかに動き出した思考に身を任せ、今日の日付と曜日をやっとのこと思い出したなら、
今が何時であったとしても、この温もりを手放せずにいられるという事実に心から感謝した。

二度寝できるだとか、学校に行かなくてもいいとか、それも確かに小さな贅沢ではあるけれど。

寝返りを打つ先には、彼女の体温があって、呼吸がある。
こんな一日の始まりを、毎日味わう事ができるなんて、何ヶ月か前の自分は想像すらしていなかったから。

覚めない悪夢のような日々。
”そんな僕に、手を差し出してくれたのは君だった。”



伸ばした手は、布切れ一枚着けていない彼女の背中にぶつかる。
昨夜脱ぎ捨ててしまったシャツも下着も、今はベッドの下で眠っているだろう。

人差し指で背骨をなぞると、かすかに反らされた背と少しくぐもった声。
指先から伝わる滑らかな質感が、僕の覚醒を促してゆく。

『イッキ…さん…?』
彼女の一日が、僕を呼ぶ声で始まった事に、言い知れない幸福感を覚えて、
振り返らせる事無く、その身体を後ろから抱きすくめた。

首筋にキスしながら、息を吸い込むと、
口いっぱいに広がるのは、人工的な花の香りと微かに混ざる彼女の汗のにおい。

官能的な、味だなんて、感じるのは。
この香りが、条件反射のようにフラッシュバックするシーンと、既にセットになっているから。

口に入れたら、甘くて、
飲み込んだら、僕を痺れさせる微毒のように。

もちろん、いくら摂取しようと耐性なんて出来る訳ない。



「…今日は、日曜日だよ」
カーテンの隙間から顔を覗かせているのは、ホリデイに相応しすぎるくらい眩しい初夏の太陽。

細く差し込む光が彼女の栗色に反射して、きらめいている、けれど。
そんな事はどうでも良くなるくらい、自分が欲情している事に気付いた。

目の覚めきっていない彼女の油断につけ込んで、右手を彼女の首の下に滑り込ませ、左手でお腹の辺りを撫でる。
柔らかな弾力につい”美味しそう”だなんて言葉が浮かんだけれど。
それを口にしたら、きっと彼女は真っ赤になりながら、眉をしかめるのだろう。

くすぐったそうに笑いながら、さりげなく左手を押しのける彼女の小さな手のひら。
そこには控えめな”拒”の意味が含まれていて。

僕は、彼女を形作るその全てが愛しくて仕方ないというのに、当の口からこぼれるのはこんな言葉。


『お腹は駄目…です…』
「なんで?」
『…』
「理由を言ってくれないなら、止めないよ?」

”恥ずかしいから”、なんて言い訳は、
僕を煽る材料にしかならない事に、彼女が気付くのはいつなんだろう。

『だって…!、えっと…その…プニプニ、してるから…』

身を捩らせながらの抵抗は、勢いのない台詞と共に失速していく。
そんな可愛らしい理由など、何の抑止力にもならないのに。

そういえば、体重計に乗りながら、”このままじゃ水着着れない…!”
なんて小さくボヤく微笑ましい姿を見たのは、何日前の事だっけ。

「すごい、気持ちいいんだけどな…」
思わず零れてしまった本音は、尚更彼女を照れさせてしまったらしい。

だけど、恥ずかしそうにしながら、僕の左手を誘導した先は、
もっと柔らかくて美味しい部分なんだけど。

「こっちならいいの?」
『っっ…!!』

慌てた所でもう遅いけどね。

昨夜、あれだけ素肌を晒した事をもう忘れたのだろうか。
それとも、知らないだけだろうか。

この指は触れた所から全てを記憶してゆく、そんな機能があるって事。
こればっかりは、神様にお願いした訳じゃないんだけどね。

彼女の身体の隅々まで知っているという優越感。
全然足りない、もっと奥まで知りたいと思う独占欲の狭間で、僕は揺れている。

それは幸せなジレンマなのかも知れない。
そうやって悩み続けていられる限りは、彼女が側にいるという事なのだから。

 

「ねぇ、昨日の続きしてもいい…?」

後ろから包み込んだまま、耳元で囁く。
ピクリと震える彼女の身体は、既にYESの反応を示しているけど、
まだまだ、その唇は素直になれない事も解っている。

『続き…って…な…』

羞恥と焦りから、汗ばむ肌は、接着剤のように僕らをくっつけたまま離さない。
このまま混じり合ってゆく体液を想像したら、背中から粟立ってゆく感覚に飲み込まれそうになった。

これでも、自制してるつもりだなんて言ったら呆れられるかな?


「んー?…まだ終わったなんて、言ってないんだけど?」


熱を持った身体がシーツを濡らすのは時間の問題だけど、もう少し困らせたくて。
意地悪な僕は、視界に入った空調のリモコンに気付かれないよう願うんだ。


『…そ…んな…』
ぎゅっと握っていた左手の拘束を緩めたのは、降参の合図かな?
そんな都合の良い解釈に衝動を任せたなら、そっとうなじに歯を立てる。


カーテンを開けるには、まだ早い。
それより、ブランケット一枚分の空間から彼女を解放するにはもっと早い。
何といっても、時計の針が味方に付いている。


「…今日は、ホリデイなんだからね?」

ゆっくりと振り向いた彼女の瞳に、今度こそ白旗を受け取ったなら。
微睡みの中、離れてしまった時間を取り戻すように、
僕らは見つめ合い、この幸せを貪るのだ。


                                            update/2012704

 

 

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<後書き>最初はシンさんで書き始めたのに…どうしてこうなった。というチラ裏です。