『一年に一度しか、逢えないなんて…。』
そう言いながら彼女の瞳は切なげに細められる。

視線の先にあるのは、商店街の入り口に吊られた笹飾りだ。
風習に重きを置いている訳ではなく、七夕に託つけて客寄せを図っているだけのようだが、
色とりどりのオーナメントは涼しげで、風流と言えなくもない。


店先には、誰でも願いを記した短冊を作れるよう、折り紙とペンがおいてあるらしく、
結構な数の短冊が風にたなびいていた。
今も小さな女の子が一人、母親に抱き上げられながら、垂れ下がる枝の先に折り紙で作ったちょうちんを括り付けようとしている。



七月七日は、織姫と彦星が一年に一度だけ逢う事を許された日、という伝説はあまりにも有名だ。
毎年この時期になると、天気予報のニュースでも当日の空模様を七夕に絡めて一喜一憂したりしている。
それに加えて、お決まりのように紹介されるのは涙を誘うおとぎ話。

”逢いたくても逢えない”というシチュエーションは、なかなか乙女心を刺激するようで、
自分の状況を重ねて夜空に想いを馳せる女子の気持ちなど、ケントには理解できないが、
そこまで説話に思い入れできる感受性の振り幅は、興味深いとなら形容出来るかも知れない。


恐らくそんな年頃の女子の一人でもある彼女の様子を眺めながら、ケントは少しだけ気分の高揚を感じていた。
夏が近いせいだろうか。


「私には、恋愛にかまけて仕事を疎かにする事への戒めを啓蒙する為に作られた教訓話、というイメージしかないのだが。」


論議の口火を切ったつもりなど無かったが、彼女の顔からは微笑みがすっと消えて、
突き刺さるのは非難めいた視線。
『ケントさんの辞書には”ロマンティック”という単語は存在しないようですね』

無論、正直な意見を述べたまでなのに…、何故だろう、答えを間違えたような気分になるのは。
明白なのは、彼女の機嫌を損ねてしまったようだという覆せない事実であり、
ケントはこの状況を好転に導くような選択肢を持ち得ない。


「生憎、私には空想に耽る習慣はないものでね」


勉強会の帰り際、偶然帰路に同じ道を使っている事が判り、途中まで一緒に帰る事になったはいい。
しかし、朝の散歩で交わす会話と、さして変わらない展開になってしまうのは何故なのかと首を傾げずにはいられない。

『ケントさんは、好きな人ともし引き裂かれてしまっても、悲しくないんですか?寂しくないんですか?』
納得いかないといった体で、彼女は口調を荒らげた。

「所謂、恋愛感情というものを経験した事が無いのでね、今の私には推測する事しか出来ないが。」
そう前置きした上で、想像する。

「恐らく、自分にはどうする事も出来ない事情なら、割り切るしか無いだろう。いつまでもそんな事で悩み続けるのは消耗するだろうし無駄な行為だ。私は悲しみ続ける事に意義を見いだせる質ではないのでね。」

すらすらと口から出て来るのは、疑う余地もなく効率性観点からみたシンプルかつ合理的な見解だ。

「きっと時間が解決するのだろう。感情というものは、条件次第で変化するものだ。」
そう締めくくりつつも、実体験に裏打ちされている訳でもない理論は、
どこか何かが欠けているような気もしていた。


しかしケントには、年に一度の逢瀬に、純愛ともてはやす程の価値が有るとは思えなかった。
そもそも伝説というものには古今東西、人々の理想が具現化されている。
この場合は、”永遠の愛”などという普遍的な憧れだろうか。

『…恋愛した事ないケントさんに聞いた私が馬鹿でしたね』
溜め息まじりに彼女は遠くの方を眺めた。
たなびく薄いグレーのグラデーションが、赤に近い夕日を飲み込もうとしている。
とても美しい光景だ。

だが、どうだろう。
空模様に反比例しているかのような、二人の間に立ちこめている暗雲。
またも本意ではない方向へ追い込まれているようだ。
価値観は違えど、溜め息のタイミングだけは気が合うだなんて。

下らないジョークにも程がある、とケントは天を仰いだ。

これは客観的に見て、会話などではなく皮肉の応酬としか言えない。
関係性を抜きにすれば、今の自分と彼女の間には天の川くらいの距離があるのだろう。
隣を歩いていても、ひどく遠い。
そう思うと、もどかしく苛立ちにも似た感情がこみ上げてくる。


織姫と彦星。
恋人と離ればなれになる、彼女はそのような状況に悲しんだ事があるのだろうか。


「…君は、」
そんな事を聞いてどうする。
例え、彼女がそんな悲恋とも呼べる経験を通り過ぎてきたとして、自分には何の関係もないし、
共有できる訳も無い、

…筈なのに。

「誰かを想って、そんな風に苦しんだ事があるのか…?」


『…えっ?』
彼女は、心底面食らった顔でケントを見上げた。
こんな顔もするのか、などと間抜けにも思ってしまう自分は、やはりどうかしていると我に返る。


困惑の色は、やがて神妙な面持ちへと変わり、
それでも彼女の口から次の言葉が出てくる気配はない。
気まずい空気に、これならまだ口論していた方がマシだとさえ思えてくる。


興味本位で投げてしまった言葉に、らしくない行動だったと後悔しても既に遅い。
まずは、こんな馬鹿げた質問が浮上してしまった原因を探らなくては。

じわりと汗が滲んで、居心地の悪さからか風が止まったような錯覚を覚え始めた時、
やっと重い沈黙は破られた。



『…わかりません。…今は。』

ケントには彼女の答えこそが解らなかった。
有るか無いかを問うているのに、”わからない”とはどういう意味なのか。
”今は”と付け足されたオマケも、更なる謎を深めるばかりだ。

彼女の頭頂部をいくら見下ろしたところで、ヒントは得られそうもなかった。

 

 

 

遠く離れた場所で、ふと思い出されるのは、そんな苦い記憶。
微かに芽生えたばかりの感情に、ただ違和感を感じるしか出来ず戸惑っていた自分だった。
だからといって、無思慮さで彼女を傷つけた事の免罪符にはならないだろう。

あれから丸一年になろうとしている今、物理的には天の川よりも大分ましとはいえ、
彼女との距離は時差を気にしなければならない程に離れている。
しかし、同じ季節を感じる事が出来る位置に居るのは唯一の救いかも知れない。


彦星は、どんな想いで一年を待っているのだろう。
逢えない間に、相手の気持ちの移ろいを心配したり、疑心暗鬼に苦しんだりする事はないのだろうか。
一年前、掲げていた持論はいとも簡単に崩れ去り、自分でも知らなかった女々しい本性に辟易するばかりだ。

無理やり前向きに考えれば、そんな感傷に浸れるほどには、自分も成長したと言えるのか。
…否、そのような情緒を教えてくれたのは、他でもない彼女だ。

 

「こちらの天気予報は晴れだそうだ。今年は織姫と彦星も雨に逢瀬を邪魔される事はなさそうだな。
私も君との再会を待ちわびながら、研究に精を出すとするよ。」

彼女へのメールを打ちながら、空を見上げて夏の星座を探した。

同じ空で繋がっている、なんて気休めにしかならなくて、時々無性に恋しくなる。
彼女は今、何を想い、感じ、どんな顔で誰に微笑んでいるのだろう。

「早く、君の笑顔に逢いたいと思っている。」
そう付け加えて、送信ボタンを押した。


研究に打ち込む為だけに用意されたような、味気ない部屋の中で、
無造作に積み上げられた資料の束や分厚い本に占領されたデスク。

その片隅に置かれている未だ真っ新な短冊が、願いを託されるのを待っていた。

 

 

                                            update/2012706

 

 

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<後書き>やっと季節感に合ったSSが書けました…