溶けても、解けない。

 

記憶を取り戻してから、改めて踏み入れたトーマの部屋で
私は不思議な感覚に包まれていた。
なんだか…、久しぶりに戻って来たような気がする。

ネット上の騒動が終息するまで、
引き続き彼の家に滞在する事になったけど…

退院してからの私の記憶は、一部分だけぼんやりとしていて
ここで過ごしていた時間も、
どこか自分のものじゃないみたいに感じていた。

トーマが言っている、私にした”酷いこと”も
全ての記憶を取り戻した今、
膜がかかったようになっていて
あの時の感情を鮮明に思い出す事は、もう出来なくなっている。

だからなのだろう。
彼の匂いで溢れているこの部屋に、
自分の荷物が置いてある事にさえ
いちいちドキドキしてしまうのは。

『お前、もうしばらくウチにいてくれない?』

トーマにそう言われた時、驚いたけどとても嬉しかった。
記憶はぼんやりしていても、ここ何週間か毎日トーマと過ごしていた事を思えば
やっぱり、離れるのは寂しかったから。

それに…
やっと想いが通じて恋人同士になれたのだから
本当はもっと彼に触れていたい。
もっともっと『トーマが好き』って言いたい。

そんな満ち足りた、でも少しくすぐったいような気持ちで
私はキッチンから戻るトーマを待っている。

本当はお茶くらい自分が用意しなければと思うのだが、
怪我をした状態では危なっかしいから、というトーマの言い分も
もっともなので大人しく座っていた。


ふとベランダを見ると、そこにはまだ解体していないゲージが
そのまま置いてある。

 

あの中に入っていた時の事…
今思ってみても、普通では考えられないような体験だったと思う。

結果的にみると、私は危険から守られていた訳だけど、
あの時は自分の置かれてる立場も状態も分からなくて

ただ、彼を信じるしかなかった。

何よりも大切な…
トーマを好きだって事さえ思い出せないまま…

 

檻の中で初めて見た、
私の知らないトーマの一面。

それを私に見せてしまった事を、
彼自身はとても悔やんでいるようだったけど、

私に向けられたものが、
執着だろうと呪いだろうと、歪んだ愛だろうと
全て愛しいものである事に変わりはない。

 

今なら解る。
あの檻も、鎖も全部、
きっと砂糖菓子みたいなもので出来ていたんだって。

私はトーマの愛で作られた、
甘い、甘い牢獄に閉じ込められていたんだ。

だけど、

今度また閉じ込められる事があったとしても、
そのときはトーマと一緒がいい。

なんて事を打ち明けたら、トーマはどんな顔をするだろう?
困らせてしまうかな、
それとも、呆れられてしまうだろうか。

そんな心配ができる幸せを、
噛みしめるように、そっと彼の名を呼んだ。

「トーマ…すき…」

お砂糖のような鎖が溶けてしまっても、
私に掛かった甘い呪いは解けないから。

ずっとずっと私を縛り続ける、
それは甘美で紡がれた鎖。

 

                                            update/2012423

 

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<後書き>ゲージが解体されても、という意味でもありますね。