彼女の家のドアの前、ちょうどベルを鳴らそうとした矢先、
階段を登ってくる人の気配を感じて、シンは伸ばしかけた手を下ろした。

「…トーマ。」
「ああ、シン、久しぶりだね。なんだ、おまえも来てたの。」
トーマは困ったように視線を彷徨わせる。
ここ最近は顔を合わせてなかったので、お互いの間に緊張のようなものが漂っていた。
幼馴染とはいえども、男同士はそういうものだ。

「…しかし随分な量だな、それ。」
シンが抱えている大きな紙袋や幾つもの買い物袋は、
一人暮らしのトーマにすれば、軽く一週間分くらいの食料が入ってそうに見える。

「色々持ってけってウチの母親に押し付けられたんだよ。トーマは何しに来たの。」
なんとなく気まずい空気が消えたので、シンはいつも通りの無愛想さで返した。

「何しに…って、見舞いだよ、食料とか薬届けに来たの。おまえもサワから連絡きたんだろ?」
トーマは当たり前かのように答える。

サワから連絡が来たのは3時間ほど前の事。
彼女がバイト中に体調不良で早退したから、様子を見に行ってくれとメールが来たのだった。
そのメールはてっきり自分にだけ来たものだと思っていたシンは、
トーマの登場に少なからず不機嫌な様子だ。
久しぶりに会っても変わらないシンの態度に、トーマは心の中で苦笑する。

「…。ドアの前で突っ立ててもしょうがないから入るけど、こいつ起きてんのか?」
「ああ、多分、大丈夫。さっきメールしたよ」

ベルを鳴らすと、彼女はすぐに出て来た。
髪が少し乱れていたから、寝ていたのだろう。
コットン生地で出来たパステル調のパジャマは似合ってこそいるが、
ボタンが掛け間違えられていて、胸元が見えそうになっている。

二人は慌てて中に入りドアを閉めた。

『一緒に来てくれたんだ、ありがとう。』
彼女は大きな勘違いをしているようだったが、
シンもトーマも、訂正しようとはしなかった。
それより彼女の容態の方が先決だ。

表情からみて、二人の来訪に嬉しそうにはしているが、
やはり顔色は優れない。
普段に輪をかけてボーっとしているし、熱もありそうだ。

「思ったより元気そうだけど、食欲はあるのか?」
トーマは言いながらキッチンに目をやる。
何も器具が使われていない所をみるとまだ食事を摂っていないようだ。

『あんまり…ないけど、食べなきゃだよね。』
彼女は溜め息をつくように洩らす。

「当たり前だろ。食べないと余計体力落ちるぞ。」
相変わらず手厳しいシンの言葉に、シュンとする彼女をベッドに促すと、
トーマは持って来た荷物の中から、エプロンを取り出した。

「簡単なもの、作るからちょっと待っててよ。」
「こいつ、昔から風邪のときは食べたがらなくなるもんな。オレも手伝う。」

シンも上着を脱いで腕をまくろうとしたが、トーマに制される。
「いいよ、キッチンそんな広くないし。シンは予備校…、ああ、今日はないんだっけか。」

わかりきった事を言われたシンはおもしろくない。
「ふうん、そう。オレを帰らせたい訳ね。」
「別にそんな事は思ってないよ、まぁ、おまえは俺が帰らない限りここにいるつもりだろうけど。」
「…当然。」

引き戸の陰から顔を覗かせた彼女が二人を見つめている。
『あの、お薬…ってあるかな…』
なんとなくピリピリとした緊張感が漂ってきたのを察知したのだろう、
二人の間に割って入る。

「あるよ、家から持ってきたやつだけど。」
野菜や果物を洗っていたトーマが振り向いて、バックからビニール袋を取り出した。
シンも紙袋の中から小さな瓶を取り出す。

「とにかく何か食わないと薬飲めないだろ。ココア入れてやるからメシできるまで飲んどけ。
…それと、パジャマのボタン、掛け違えてるぞ。」

シンの視線に、彼女は自分の胸元を見やると、慌てて背中を向けた。

 

 

「よし、出来た。」
トーマが作ったのは普通より少し豪華な雑炊だった。
野菜がたっぷり入っていて肉も卵も、蟹のほぐし身なんかも入っている。
風邪のときは吐き気や腹下しさえなければ、栄養のあるものを食べた方が良い、
という事で選ばれたメニューだった。

彼女は美味しそうな雑炊を前にして、湯気を思い切り吸い込む。
『やっぱり、お腹すいてきたみたい。いいにおい…』
「おい、熱いんだから火傷するなよ」
シンの忠告を無視して、スプーンを口に運んだ彼女の目が見開かれた。
『っ!!…んー!!』
「言ってるそばから何やってんだバカ!」
思わず乗り出したシンをたしなめるように、
トーマが水を差し出す。
「シン、病人の前なんだから静かにしたら。おまえも、時間はあるんだから、ゆっくり食べなさいよ」

こういうやり取り自体が久しぶりで、三人とも、なんだか既視感を覚えるのだった。

 

「おまえ、病人の割に楽しそうだな。」
いつもより、口数は少ないが彼女はずっとニコニコしている。
それが気に入らないのか、シンの口調には、少なからず棘があった。

『なんか…久しぶりだね、こうゆうの。シンとトーマと私、三人で一緒に居るなんて。』
シンの言葉が耳に入らなかったかのように、彼女は二人の間を交互に見やって
嬉しそうにしている。

いつからか、シンとトーマは距離を置くようになっていて、昔のように
真ん中に自分がいるという構図は見られなくなっていた。
両手はいつだって、ひとつづつ、シンとトーマの手で繋がれていたのに。

お互いの成長に伴う変化だと自分に言い聞かせても、寂しい気持ちは拭えなかった。
我が儘だと、わかっていても。

『やっぱり、いいね、三人って。』
彼女がしみじみと言うので、二人は黙ってしまった。

一瞬の沈黙の後、素っ気ない言い方でシンが口を開く。
「おまえ、オレと一緒に居る時もトーマトーマって五月蝿いもんな。」
「あれ、俺だって会う度しょっちゅうシンの話聞かされてたけど。」
そう言って、トーマとシンは顔を見合わせた。

その事実が、彼女にとって今の状況がどれだけ嬉しいものかを物語ってはいたけれど、
再び幼い頃の関係に戻れるかといったら、今更無謀な事は至極分かりきっている。

それでも、彼女の笑顔は二人を温かな気持ちにさせるのだった。


『ごちそうさま、でした。』
さすがに全部というのは無理だったが、これだけ食べられれば心配ないだろう。
あとは薬を飲むだけだが、彼女は浮かない顔をしている。

『ねぇ、シン…この薬って、苦いやつだよね…?』
恐る恐る、といった感じで彼女は薬瓶に鼻を近づけた。
くんくんと匂いをかぐだけで、蓋を開けようとはしない彼女に嫌な予感がする。

「おまえ…、もしかして、苦いから飲まないとか言うんじゃないだろうな。
…やっぱり。そんな心細そうな顔してもムダだから。」
シンにこういう我が儘が通用しない事なんて、わかってはいるが、つい顔に出てしまうのは仕方ない。

「俺が持ってきた薬にするか?こっちならシロップだから、そんなに苦くないと思うよ。
まぁ、シンが持ってきた方が効能は高いと思うけどね。」
トーマはビニール袋から薬を取り出した。
いかにも子供向けのパッケージだが、一応は風邪薬だ。

「良薬口に苦しって言うだろ、トーマもわざわざ甘やかすような真似すんな。」
シンが軽く睨むと、トーマはやれやれ、といった感じで首を振る。
「久しぶりに会ってお兄ちゃんごっこが出来るんだから、ちょっとぐらい甘やかしたってバチ当たんないだろ?」
「兄貴面とか頼んでないし。」

せっかくいい雰囲気だったのに、すぐこれだ。
彼女はこんな時、どうしていいかわからなくなる。
大体、二人の言い合いの種は自分に端を発する事が多いので
迂闊に口を挟めない。
シンとトーマの価値観は正反対を向いているようで、両方に引っぱられる自分は
真っ二つに引き裂かれてしまうんじゃないか、なんて思う。

『わかった!飲む、飲みます…両方飲むから…飲めばいいんでしょっ!』
観念して彼女はシンの薬、トーマの薬、両方をつかむ。
この場を収拾させるにはそれしかなさそうだった。

まずはシンのくれた苦い方のキャップを開ける。
匂いなんて嗅いだら、決心が鈍りそうだったので一気に飲み干した。
「おお…」
その勢いにトーマは息をのむ。
シンも目を丸くして見つめている。

後味がやって来る前に二本目に手を伸ばした。
こちらは舌に触れたとたんに強烈な甘さが抜けていく。
言葉にならない不味さに表情が固まった。

「…おまえ、なんて顔してんだよ」
シンは笑いをこらえながらも水を差し出してくれる。
「よしよし、偉かったな。」
トーマは頭を撫でてくれた。

『うー…口の中不味い…』
顔をしかめながらも、彼女は幸せな気分だった。
実際に昔のように三人で手をつないでいる訳じゃないけど、
久しぶりに会っても変わらない空気感に心から安心していた。

厳しいけど、不器用ながらも誠実に愛情を表してくれるシン。
誰よりも特別に甘やかしてくれるトーマ。
二人とも失いたくない大切な存在。

これからもずっと、というのは過ぎた願いだろうか。

彼女を見つめる二人の視線はとても優しくて、
だからなのか、急に眠気が襲ってきた。

 

 

「寝ちゃったか。」
彼女の前髪を撫でながらトーマは微笑む。
心底、愛おしいというような表情だった。

片付けを終えたシンがキッチンから戻ってきたが、
背中を向けているトーマの顔は見えていない。

「おいトーマ、帰るぞ。」
「うん、わかってる。」
名残惜しいのは自分だけじゃない、だからこそお互いを牽制するように
彼女から離れる。

「俺、明日も一応来るけど、シンはどうする?」
「…トーマが来るなら行かない。」

そんな事を言いながらも、きっと来るのだろう。
トーマにはわかっている。

「じゃぁ、おやすみ。気を付けて帰れよ。」

シンはトーマから目を逸らしながらも、無言でうなずくと、先に歩き出した。

昔は帰る場所なんて、目と鼻の先だったけど今は違う。
彼女のマンションを出て一つ路地を曲がると、もう分かれ道だ。

シンとトーマはそれぞれに歩き出す。
それは、少し先の未来を暗示しているようだったけど、
この時の三人はまだそれを知らない。

 

                                            update/2012502

 


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<後書き>風邪を引いても優しくしてもらえなかったのでヤケクソで書きました・・・終わり方が暗くなってしまった;