光が角度を変えて、
格子の中まで差し込んでくる。

日差しに逆行するように
爪の先から冷たさが浸食してゆくようだった。

指先を口に含んで体温を感じる。
歯を立てて痛みを確かめた。
感覚まで消えたら自分が自分のものでなくなってしまうのではないか、
そんな恐ろしい考えが、拭っても消えないシミのように取り付いて離れずにいた。

 

 

toma

 

 

「ただいま。」
返事が無い事は最早当たり前となっていた。
そもそも彼女は眠っている時間がほとんどだったから。
太陽が昇ろうが月が隠れようが、彼女の世界には何の関係もないのだ。

部屋の中で違和感を放つ大きなゲージ。
冷たく硬い鉄で出来ていようと、頑丈すぎる鍵で固められていようと、
それはトーマの大切な宝箱に変わりない。

蓋を開けてみれば、
可愛いものや甘いお菓子、ぬいぐるみに囲まれているのは
愛と云う名の呪いに縛り付けられた可哀想な女の子。


トーマの、いとしい彼女。

籠の中の小鳥というにはあまりにも窮屈そうで、
それだけが心を痛める。
いつだってトーマは姫を助けにきたナイトなどではなく、
牢獄の番人としてでしか彼女の前に立てない。


すべて嘘なら、幸せになれただろうか。
ふいに湧き上がった問いを、頭から振り払いながら、
檻の前に立つ。
「ごめんな、遅くなった。」
謝ったところで、自分が王子様なんかにはなれない事などわかっている。

 

眠りから覚めたのか、
おもむろに起き上がった彼女の細い腕が格子をつかむ。
薄暗い部屋の中、黒い瞳に映っているのはいつだってトーマだけ。
彼女の唇が、何か言いたそうに開いている。
それは親鳥が巣に戻るのを待ちわびた子供が、反射的に餌を求めて口を開ける姿に似ていた。


彼女の周りに並ぶ、人形やぬいぐるみの視線までもが自分に向かっているような気がして
ゾクリとした。
勿論、そんな筈はない。
思わず目を逸らしながら、意識的に口角を上げる。
「シャワー、浴びたいよな。…準備してくるから。」
トーマは逃げるように背を向けた。



そろそろ限界なのだろうか。
彼女も、自分自身も。
バスルームで、浴槽にお湯を貯めながら、流れ落ちる水滴を見つめる。
ぽたり、ぽたりと機械的な律動を、ただただぼんやりと眺めていた。


記憶の中で快活に笑う姿は早くも色褪せ始めている。
彼女はもう、泣いたり、怒ったりはしない。
言葉を発する事もどんどんと減ってゆく。
そうさせたのは紛れも無くトーマだった。
そして、その事実こそが救いでもあり罰でもあった。


今となっては、彼女に接触できる唯一の人間は自分だけだ。
だからといって、待ち望まれているのかはわからない。
彼女にとって、自分の存在は呪いでもあり命綱でもある。


その心情が、振り子のように揺れ動いているように見えたのは最初だけ。
今は傍目から観察するだけでは、何を思っているのかわからない。

「何故」「どうして」の言葉はいつしか消えて、
全てを諦めたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
それどころか、彼女からの要求は解放でも情報でもなかった。

ただ時々、抱いて欲しいとせがむのだ。

 


「……罰…?」
思わず呟いた音は反響する事無く、勢い良く噴き出る水にかき消された。
違う、この状況をどこかで望んでいたのは自分自身だ。
溢れ出すのは嫌になるほどの自己弁護と汚らわしい欲望。
密かに、一途に、思い続けた純粋な感情の成れの果てが、不条理そのものだったとは。


どんなに乱暴に抱かれても、彼女のまばゆい程の無垢は汚される事無く
俺を受け止める瞳はどこまでも真っ直ぐで。


彼女を抱きしめる度、浄化されたように心は軽くなる。
許されたいと言う願望が、夢を見せているのかも知れなかった。
でもその身が再び離れれば、また泥のような現実が待っていて、
飲み込まれないように、沈まないように、もがき苦しむ、だけ。
それが罰だというならば。
皮肉にも、今やその痛みこそがトーマの生きている証だった。
そんなものにすら、愛着を覚え始めていた。



これが狂気以外の何物だというのだろう。



最初は彼女を救おうとしていた。
降り注ぐ悪意の雨から、苦しみや悲しみという概念からさえも。

それがどんなに馬鹿げた思い込みだろうと、



本当に、本気で、救えると思っていたんだ。

 

 

                                            update/2012719

 

 

               top         novels


<後書き> つ、続きます・・・!!