押してダメなら、
引いてみろ。

なんて、私なら絶対思いつかない。

 

かけ算、引き算

 

「ごめんね、待たせちゃった?」
今日もキラキラとしたベールを纏いながら登場した彼に、若干の引け目を感じながら、
私は慌てて立ち上がる。

カフェの少し奥まった場所に席を取ったのは、サングラスをしていても目立つ彼の風貌と、
一言では説明出来ない諸事情を考慮しての事だった。

『だ、大丈夫です、少し早めに着いてしまっただけで…』
約束の二時を待たずに到着してしまったのは、少しでも早く心の内を話して楽になりたいという
願望の表れだろうか。

そう?と軽く首を振る仕草さえ様になるイッキさんに比べて、
きっと私はくすんだオーラを放っているに違いない。
ここ数日は、考えごとのせいかよく眠れていないし…。

そんな風に卑屈になってしまう私を察したのか、
彼の眉が少し下がる。

「…やっぱり、辛くなってきたよね。」
イッキさんのアドバイスで始めたこの作戦、開始してから一ヶ月が経とうとしていた。

 

確かこの場所だったと思う。
あの時も私はアイスコーヒーにたっぷりとミルクを注ぎながら、浮かない顔をしていた。

目の前にはイッキさんがいて。
「へぇ、それじゃあキミはトーマが好きなんだ。…道理で僕に傾かないわけだ。」
なんて、少し不満げな風を装いつつ、楽しげに目を細めていたっけ。


ずっと内に秘めてきた想いを、誰かに、ましてや同じバイト仲間に打ち明けるなんて
少なからず勇気が要る事だったけれど、イッキさんはとても親身になってくれて。
私はそっと胸をなで下ろしたのだ。

そしてイメージに違わず、恋愛というものに長けている彼から聞く助言は、
私にとって目から鱗の連続だったし、
恥ずかしながら、自分の子供っぽさを再確認するにも十分すぎた。


…こんなんだから、私はいつまでも妹分としか見られないんだよね。

そう実感しては涙ぐむ日々なんて、もう終わりにしたかったんだ。

けれど、19年間の片思いを進展させるのには、
それ相応の起爆剤のようなものが必要に思われた。


もう、生半可なアプローチじゃ気付いてもらえない事は分かっていたから。



恋愛経験の無い私に、駆け引きなんて高レベルな事が、
出来っこないのはわかっていたけど。

ただ、好きな人を振り向かせたくて。
その為なら、どんなことだって我慢できると思っていた。
—あの時は。


「それじゃ、まずはトーマに君のその覚悟をわかってもらおうか。」
涼しげな笑みを浮かべながら、イッキさんが提案した作戦は、
到底、自分には思いつきそうに無いものだった。

 

 

 

カラン、と氷が溶けて、
グラスの中に小さな波が生まれる。

静かとは言えない店内の隅っこで、
私の座る場所だけが静寂に支配されていた。

「それで。会うのを控えても、トーマの態度は変わった様子が無くてキミは落胆しているって訳か…」
『はい…。たまに来るメールも普段通りで…』

「あまり、無理はしない方がいいと思うけど…キミは…すごく頑張ってると、思うよ。」


労るような彼の言葉につい、泣きそうになってしまう。
こみ上げて来るものを無理やり飲み込むように、目の前のグラスに手を伸ばした。


イッキさんはゆっくりと続ける。
「キミは本当に、彼が、…トーマが好きなんだね。」

他人の口から語られる自分の恋心。
その言葉の一字一句が、私の中に染み込んでいくようだった。



好きです。
大好きなんです。
どうしようもなく。


だから今、
こんなにも苦しくて。


自分の決めた事なのに、
不安で、不安で。



張りつめた私の表情を返事と受け取ったのか、
「今の辛そうなキミに言う事じゃないかもしれないけどね、正直…羨ましいなって思うよ。
誰かをそこまで深く好きになるって感覚、僕には縁がないから。」

そう言ってイッキさんは微かに笑う。
瞳の色は、サングラスの黒に隠れて、見えなかった。

 

 

…next

 

 


                                            update/20120518
<memo>
面倒見の良いイッキさん。でも真っ直ぐな恋愛を目の当たりにして、内心切ないんだろうなとか妄想しつつ。

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